吉川晃司さんが、被災地支援をしたときのお話。
家が倒壊してしまったおばあちゃんが「あの壺さえ見つかれば、売ればお金になるから。」と一緒に壺を探したけど、結局見つからなかった。
おばあちゃんが、『モノなんてなくなってしまうんだねぇ。人生では知恵と財産を作ることが大事。』と言い、吉川さんの教訓になったとか。
モノは緊急事態に自分を助けてくれない
モノに固執してしまって何も捨てられない人は、究極に大事なモノを失ったことがないのかもしれません。
モノを買いこむ、溜め込む人の特徴として、親からの愛情が不足していたり、パートナーとの関係に悩んでいたりと、とにかく満たされたい!人が多いです。
ただ、その後の段階の捨てるってなったときに異常に捨てないことに執着する人は、究極に大事なモノを失ったことがない人が結構います。
情報過多になる必要はありませんが、世界事情や日本で起きているニュースを見ていると、家族が健康でその日その日ご飯を食べられて寝られれば、それが一番しあわせであることに気づくはずです。
モノはあっても、家計の助けになってくれないし、ガラクタが自分の人生を豊かにすることもありません。
何のトラブルもない日常では、レトロなランプが心を癒してくれることや、お気に入りのカーテンが心を和ませてくれることはもちろんあります。
ただ、緊急時代・非常事態に、モノは助けてくれません。
しかも癒してくれるモノは、自分が選び抜いた1軍の大好きなモノに限ります。
使っていない埋蔵品や死蔵品が家にいっぱいあるということは、死体とともに生活しているということです。
大事な家族でさえも、息を引き取ったらすぐに火葬して納骨しますよね。
ただのモノは、目に見えて腐って臭いを放たないからと言って、持ち続ける理由はどこにもありません。
捨てない人は感覚が鈍化してしまっていますが、埋蔵品・死蔵品が多い家の臭いはあります。
先日も書きましたが、紙にもびっしり紙虫はついています。
家族が病気したときは、手放した方がいいというサインと受け取る
縁起でもないと、日本人は人が亡くなる話を避けたがりますが、自分の子どもが命の危険にさらされていても、モノを取るでしょうか?
わたしは、いつも子どもが病気するたびに、「あー!わたしの執着心なんて全部捨て切るから、頼むから健康にしてーっ!」と思います。
なので、家族に何か負のことが起きたときは、モノをいっぱい手放します。
自分の負の感情とセットで。
メルカリやヤフオクなんかでなく、無償で提供することでちょっとでも正が増えるようにする、これもう習慣になっています。
満月から新月に向けての2週間の間は、損得勘定無しで手放すコトも習慣になっています。
手放すコトが習慣化されると、モノが減るだけでなく、落ち込んだときの気持ちの切り替え方や今に集中する癖がついてきます。
モノと思考はセットなんですよ。
生きた化石にならないためには、思考も今風に
昔の雑誌の収納特集記事なんかを見ると、
- 「突っ張り棒で棚を追加してとにかく“ぎゅうぎゅうに”詰め込む方法」とか
- 「箱の角をゴム製に買えることで“まだまだ”紙袋が収納できる」
などという表現が出てきます。
“ぎゅうぎゅう”と“まだまだ”が良いこととされていた時代は、バブル全盛期でモノを買えることが勝ち組とされていたときのこと。
今、SDGsとかエコとかリサイクルとかいう言葉が日常的にあると言うことは、モノを持つことが格好悪い世の中に移行しつつあるんです。
後妻業を読んだときに、“左ハンドルがダサい、時代錯誤”みたいな表現が出てきて衝撃を受けました。
若者的には、ベンツの左ハンドルより、ガソリン代を食わないトヨタのハイブリットの方が、電気自動車の方がかっこいいのです。
人生100年時代と言って、都合のいい解釈をしてモノを増やすくらいなら、思考も今に追いつかせなければ、長生きしてもとーっても孤独な人生になります。
携帯電話が登場してから、進化はとにかく目まぐるしい。
今の思考にさえ追いついていなければ、10年後生きた化石になるのは間違いありません。
モノを持つより、知恵・経験という財産を作りましょう。
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