やましたひでこさんのムック本なんかによく登場する魔窟の空間、我が家には絶対的にないと思い込んでいましたが、ありました。
小さな空間ですが、昔の化粧箱です。
この化粧箱は、祖母にわたしがプレゼントしたもので思い出の品として、中に祖母との手紙や、祖母の留守電が入った携帯電話や祖母が愛用していた洋服の生地なんかを入れています。
たまに取り出して、声を聞いたりしていましたが、留守電の声もスマホに移し替えたので最近は滅多に開けていませんでした。
1年半くらい。
思い出の品は、優先順位を決める

久しぶりに開けてみたら、祖母との手紙のやりとりに留学時代の友人との手紙や前の会社のお客様から貰った手紙が入っていました。
思い出の品は、一番捨てづらいところですが全てを置いておくわけにもいきません。
わたしがおススメするのは、優先順位を決めることです。
人もコトガラもです。
人で言うと
- 自分に大きな影響を与えてくれた○○さんとの思い出が1番大切
- 2番目の○○さんは、健在だし未来に目を向ける
- 3番目の子どもは、無事巣立ってくれたことだし数を半分にする
コトガラで言うと
- どれほど過去の栄光でも、1番の成功の証以外は捨てる
- 趣味の旅行関係は、写真のみにする
- 写真は、人と自分が写っているものだけにし風景写真は捨てる
- 学生時代の仲間との思い出は量が多いので1年に1個分だけにする
など、自分でルールを決めます。
わたしの場合、人はもう会えなくなった人との思い出を手元に残すと決めていて、友人は全捨て事項に入っています。
留学時代の友人は、すでにみんな疎遠になっているのに手元に残していたのは、
- 英語が話せる自分への執着?
- 滅多にない海外生活への執着?
でしょうか。
とにかく、スマホで写真に撮り思い出ファイルに入れて全部捨てました。
手に取って、懐かしくなり連絡を取るくらいならまだしも、もう連絡先もわからないようであれば、想い出を胸にしまってモノはさよならしてもいいのではないでしょうか。
縁が薄い親族も他人とみなす
わたしは、親以外親族がいません。
きっと、血筋をたどると従妹とかいるのでしょうが、全く付き合いがないので連絡先も知りません。
曽祖父母のお墓参りに行くときに、その親戚に一応連絡はするものの、来たついでに顔を合わせようということもないので、親族も他人とみなしています。
赤ん坊の頃の写真にはその従妹やらが写りこんだ写真もあり、一応取っていましたが、年を重ねるごとに縁がない人とは本当に交わらないことを痛感しているので、そういったモノも一緒に処分。
遠い血縁関係をモノで持つくらいなら、近くの他人と心を通わせた方が自分を助けてくれます。
バチが当たるなんてことはありません。
捨て続けて2年のわたしは、バチが当たるどころか幸運が舞い込んできていて自分自身で驚いているくらいです。
何故、捨てたいのかを明確に
わたしは、捨てると言う行為をただスッキリした暮らしをするためだけにしていません。
わたしの周りの100%の人がなしえなかった、死に支度をきちんとして死んでみたいのです。
- 死んだら全部捨ててくれたらいい
- その分のお金は残しておくから
と言って、ガラクタを他人に処分してもらうなんて、最後の最後にあまりかっこよくないじゃないですか。
最後くらい始末のいい女で、「ほー立派だね。」と言われるのがわたしの夢の一つ。
モノが捨てられないと執着するくらいなら、モノとの関係性をもっともっと目を凝らして生きる方が楽しいですよ。
自分がモノを減らしてどうしたいのか、ビジョンを明確にするのもモノを減らす後押しになります。
どうぞ、自分の気持ちに寄り添った1週間をお過ごしください。
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