長くブログを読んでくださっている方だとわかってもらえると思いますが、わたしは日々、常に死を意識して生活しています。
終わりを意識することで…
- ソファの上にほっぽり置かれたブラを寝る前に片づけられたり、
- 出かける前に、もし自分が死んで他人が家に入るかも!と部屋を整えられたり、
あり得ないようであり得る最期を意識すると、今ちょっとめんどくさいことに動力を使えるからです。
きょうが最期の1日だとしたら、何をする?
アメ友の1人に声優さんがいるのですが、彼女が面白い記事を書いていました。→「怖い」の先にある世界
彼女の友人が毎月、月末を最期の日と想定して生活していると。
そうすれば、『あと1週間しかないのに、これやりたい?やりたくない?』という選択ができるとのことで、わたしも今月やってみました。
わたしは、去年の11月にクソノートパソコンを購入してしまうという買い物の失敗をしてしまってから、たまにだったブレインダイブを毎日するようにしています。
ブレインダイブとは、頭であ~でもないこ~でもないと考えていることをただ紙に書きだすだけの作業なんですが、
- なんできょう自分はこんなにイライラしているのか
- なんであの人と一緒にいることにこんなにもやもやするのか
- なんで買うことに対してこんなにやきもきするのか
など、理由が明確になり心が軽くなります。
そんなこんなでこの2か月は、潜在意識のごみ、心のもやもや、頭の中の余分な思考を吐き出していますが、それにプラスアルファしたのが月末が最期という設定。
きょうがわたしの最期。
そう思うと、毎月、月末に家賃を振り込まずイライラさせられる賃借人のことも、「あ~この人は最期までルーズで貧乏暮らしするんだろうなぁ。バカなヤツ~。」程度で済みます。笑
最期の話をすることを極端に嫌がる人が、日本人には非常に多くいますが、必ず訪れることを話さないと徹底するのは返って執着することになります。
さんまさんが、ワクワクしながら死にたいとおっしゃっているように、最期を無いことにするのではなく、必ずある最期を楽しく迎えるようするのが1番理にかなっていると思います。
きょうが最期だとしたら、何をしたくて何をしたくないですか?
家事にも終わりを決める
勉強も仕事も家事も家族も、終わりが見えないと人間って追い詰められます。
- 要求がエンドレスの親、親の希望通りのことをしてあげても、終わりが見えない親の期待
- 達成感を感じさせてくれる暇もなく、与えられる理不尽な仕事
- 毎日、やってもやっても終わりが見えない家事
こういったことに人は嫌気をさし、やる気がそがれて、中身がおざなりになっていきます。
結果、生活水準がだだ下がりするということです。
では家事に終わりを見つけるとはどうするのか、数を減らすに限ります。
何回も書いてるので耳タコかもしれませんが、洗い替え全部3セットまでにしている我が家では、3足目の靴下を履くときに「あ、明日履く靴下ないから、きょう洗濯しなきゃ。」となり洗濯するタイミングが決まります。
自分の衣類収納場所にエンドレスに靴下が入っていたら、
- 毎日洗濯することも可能、
- 全部履ききるまで洗濯しないことも可能、
- はたまたそうしたらいつくらいで洗濯する?3日に1回?
と選択肢が増え、家事に脳みそがとられる割合が増えるのです。
靴下の枚数に終わりが見えたから、洗濯するというシンプルな思考と比べて脳の疲れ方が倍以上になるのわかりますか?
日々の暮らしでは終わりが見える方が楽なんです。
日用品や食品を買うときも、一緒です。
明後日までに食べきる量、きょう使うけど家にないモノだけを買うのが楽です。
- 食材を買い込んだら、賞味期限切れに脳をフル回転、
- ありすぎる食材からたくさん作れてしまうメニューの厳選、
- ドラッグストアでは、家にあるモノを脳フル回転で思い出しもう少しなくなりそうなモノを買い込む。
そんなことしてたら所帯じみた顔になっていくのは当たり前です。
やることに追われて老けた自分に嫌気がさし、美容代にお金をつぎ込まなくても、時間に余裕が生まれて所帯じみたことをやめれば5歳は若返りますよ。
昔と違って、ちょっと歩けばお店もあるし、数日待てばネットショッピングで買えるのですから、買うことに躍起にならないことです。
全てにおいて終わりが見えたら行動を起こす、そんなくらいにしていたらどうでしょうか。
終わりを意識できた方は是非ポチッとお願いします♡
買わない杏が買ってよかったモノ