子育てをしていると時間に追われて部屋は散らかりがち。
お母さん業だって別にプロってわけでなく、試行錯誤の毎日。
仕事に追われて子育てに追われてどうなるかというと、自然と部屋は散らかり、自信喪失。
そこで、多くの人が思いつくのがモノ頼みです。
子どもに与えたら勉強になる(と信じたい)知育玩具やミニマリスト本に便利掃除グッズ。
モノに頼るんだけど使いこなせず、モノだけ堆積して事態は悪化するばかり。
そんな暮らしにならないために、まずモノ頼みを断ってみましょう。
モノが無い方が身につくことたち
わたしは、毎日、英語と韓国語の勉強をしています。(ラジオ講座で)
月が変わる頃、本屋へ行って1冊550円のテキストをそれぞれ買って、教材ありきで勉強していました。
毎月2冊ずつ増えるので溜まる一方です。
1か月分のテキストの内容が全て頭に入ったら手放そうと思っていましたが、語学のエキスパートを目指しているわけでもないわたしは、1冊に数個の単語は覚えきられないものがあり、テキストはどんどん増殖。
そこで、テキストありきで勉強するのやめてみました。



※これもある程度溜まったら捨てる。テキストを捨てるより精神的苦痛が随分少ないのがメリット。
モノに頼っているときは雰囲気を楽しみたいとき
わたしの語学テキストと同じで、世の中にはモノに頼りがちなことだらけです。
趣味のことで言えば、ゴルフウエアにヨガウエアにテニスウエアと、ただスポーツをするだけなのに、えらく細分化されています。
まるで専用グッズでないと楽しんではいけないかのような強迫観念にさらされるほどです。
しかし、これもいつも言うただの売り手の戦略です。
わたしのヨガスタジオには、わたしより若い女の子でも普通のスウェットみたいな恰好でしている子もいるし、ご年配の先輩たちは普通のポロシャツを着てたりします。
格好から入っている人たちは長く続かないことが多く、ファッション的にヨガを楽しんでいるんだなという印象です。
昔の美談として紹介されがちですが、家が貧乏でボロボロのグローブしか持っていなかった少年がプロ野球選手になったとか聞きますよね。
本気の人にモノはあまり関係ないのです。
子どもにだって、知育玩具を与えていれば優秀になるかと言えばそうではなく、探求心を育ててあげる方が、自ら図書館へ行く習慣がついて読むことが得意になったりします。
子どもにも自分にもむやみにモノを与えるのは、結局、成功の遠回りになっていることが多々あります。
以前一緒に仕事をした会社がよく凡ミスをする会社で、その度に貢物をもって謝りに来ていました。
先日縁が切れた取引先も、縁が切れることが申し訳ないと手土産をわざわざ東京から持ってきました。
心象がよくなったかと聞かれれば答えはNOです。
貢いでくれたからいい会社ではなく、モノを押し付けて凡ミスをなかったことにしようとするあさましい会社としか映りません。
モノに頼るのは自信がないから。
モノではなく自分自身に知識を蓄えた方が、自己肯定感はぐんぐん上がります。
モノが無くても安心できる環境づくり
わたしだって長きにわたって物質主義的価値観に洗脳されていましたから、モノに頼らない行動に不安を覚えることもあります。
わたしだけいつも同じウエアだなと引け目を感じたり、ここで買わないとケチだと思われるかなとか思ったことあります。
ただ、半年後1年後になるとモノ頼み組より明らかに成長している自分に自信がつき、モノに頼らない自分が誇らしく思えてきます。
ここまで来たらこっちのもの。
もう買わなくてもしあわせになる道まっしぐらです。
基礎がある英語と違って、全くゼロからスタートだった韓国語は何回聴いても発音がわからなかったり、自分で調べてもわからない言葉があるときもあります。
先日、日本語にはない過剰な尊敬語が理解できませんでした。
『怒っていらっしゃいます。』というセンテンスが『ファルレセヨ』と聞こえるのですが、文字を調べると『ファルネセヨ』しか出てこない。
本屋の前を通りがかったとき、テキストをチラ見すると『ファルネセヨ』で合ってる。
耳も書き取りも合ってるのに一致しなかったのは、流音化という現象を忘れていたから。
テキストがあったら気づきもしなかったことが、テキストがないおかげで執念で納得でき身につきました。
こうやってどんどんモノがなくても平気度が上がっていきます。
モノ頼みになりそうなとき、自分にちょっと待ったー!が言えるか言えないか。
それが、未来のすっきりライフに繋がっていますよ。
モノ頼みを少しでも手放せた方は是非ポチッとお願いします♡