先月からいろいろからだの不調が続き、いろんな病院へ行っています。
整骨院に始まり整形外科に内科と。
久しぶりに病院に来て、“マスクマスト場所”がまだあったことを思い出しました。
自分軸で買う人間/世間に流されて買う人間
マスク信仰が薄いわたしは、コロナ化もマスクさえしていれば大丈夫、とは思わないタイプで、お肌が弱いこともありマスクはなるべくつけませんでした。
マスクを買占めしている人を横目で見ながら。
コロナ禍の数年間、みなさんに譲ってもらったり友人が作ってくれたりで、結局マスクを1枚も買ったことはありません。
コロナ化が明けて、フリーマーケットのお手伝いに行くと、まぁ出てること出てること、マスクの山。
みなさん、それだけ世の中に躍らされて買い物をしたということでしょう。
焦ったときやパニックのときは正しい判断ができないと先日もお話ししました。
備えることは大事だけれど、世の中の風潮に煽られて買い物をしたりすると必ず無駄が生まれるし後悔することになります。
判断基準は、他人の基準ではなく自分の基準で
久しぶりに病院へ行ったときにマスクをしている人しかいないことに気づき、受付で「マスクマストですか?」と尋ねました。
答えはYESで、なかったら〇〇へ行って買ってこいと言われました。
以前のわたしなら、買いに行っていたでしょうが、今の瞬間しか必要でないマスクを3枚セットや5枚セットで買うのがどうしても嫌。
家に帰ったら、数枚ちゃんとありますし。
結局持ち合わせていたティッシュとガーゼとハンカチで臨時マスクを作ってその日はしのぎました。
わたしみたいに1人で行って、一言も発せず待合で待ち、担当医と数分話して帰ってくるだけの人間より、待合に数人で訪れずっとべちゃくちゃ喋り続けている人の方が、マスクをしていても危険だと思います。
要はマスクさえしていれば命は安全という安易な考えは、自分の命を守ることにはならないということです。
わたしなら、マスクをしていて喋り続けている人の隣より、マスクをしていない一言も発さない1人者の横の方が安全だと判断します。
帰ってきてから、本当に買わなくてよかったと実感しました。
なんとなくモノが増えてしまう人って、言われるがまま買ったりもらったりしてしまうのが原因の1つでもあります。
相手もあげることや売ることが当たり前になっているので、ごく自然な流れでモノを無料であれ有料であれ押し付けようとします。
その自然な流れの中に、ちゃちゃを入れて、昔のネルトンではありませんが「ちょっと待ったー!」と言うのが億劫で、みなさんそのまま手にしてしまいます。
普段から、ちゃんと「ちょっと待った!」「わたしはいりません。」「わたしはもらいません。」と言うことがとても大事です。
断ることが苦痛だと言う人は、数をこなしていないからなだけです。
どこかしこでも断ってばかりのわたしですが、別段それが原因で支障をきたしたこともありません。
もしかしたら、お店側は販促品にお金がかかっていて、いらないと言われた方が『ラッキー!』と思っているかもしれません。
自分にわかりえない、相手の心情を推し量ったところで、自分都合に解釈していることがほとんどなので無意味なのです。
嫌なこと言うヤツを相手にしない力

わたしが幼稚園の頃、やたらセレブな親ばかりの幼稚園に通っていたせいで、母が断ることで嫌な思いをしていました。
同調しなかったり、一緒のようにモノを買わないと、「杏ちゃんとこは貧乏だから。」みたいなことを言われていました。
しかし、そんなことをいう人と関係性を作る必要性もありません。
わたしが幼稚園に通っている間、親御さんと顔を合わせるときは多少嫌だったと思いますが、卒園後、そういうことを言っていたご家庭には不幸が訪れ、知らない間に姿が見えなくなりました。
そんなもんです。
ごちゃごちゃ嫌なことを言う人は、あなただけに言っているわけではなくみんなに同じような態度をとっているので、言わないだけでみんな自然と離れていきます。
残るのは同類ばかりです。
そこに引きずり込まれて染まりたいと思いますか?
断る力は、自分の人生を堕落させないためにも必要なメソッドなんです。
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買わない杏が買ってよかったモノ