

カーテンいっぱい捨てました。
ミニマルな生活を送る自分は、先見の明がある人だと思って否定せず生きる
よく義家族に子ども服や食器などの“向こうのガラクタ”を押し付けられたという相談を受けます。
断ることにストレスを感じる日本人としては、断るのもストレスだし引き受けるのもストレスだし、大概にしてくれー!と叫びたくなる気持ち、わたしもわかります。
日本では、まだミニマル文化やSDGsを考えて生きている人が圧倒的に少なく、モノを貰って迷惑だと伝えると、非常に変人扱いされるから困ったものです。
先日、崎のだかさんの記事をリブログしましたが→“(ママ)友に学ぶ”
ママ友との会話なんかでも、
- モノを買わない人はケチ
- 人と違っている格好をしている人は変人
と、話を合わせなければ変な空気になること間違いなし!という状況にも遭遇します。
ただ、昔の常識今の非常識は山のようにあります。
終戦した瞬間に教育が180度変わった経験をしている人ならそれがわかると思うのですが、今の常識はあっという間に未来の非常識に変わります。
断捨離をしていることでストレスを感じている人は、ミニマル文化やSDGsの世の中に早く対応できた人間なんだと、自分を納得させることです。
先見の明があるのはいいことです。
バブル崩壊前に不動産を売りさばけた人も先見の明がある人。
ごみを出すのにお金がかかる時代になる前に、ガラクタを手放せた人も先見の明がある人です。
20年前だったら、ごみを捨てるのにお金がかかる、レジ袋にお金を取られる、もっと前の話だったら水にお金を出して買うなんて信じられなかった話ですよね。
それを今の日本人ほとんどが受け入れているのですから、ミニマル文化が良しとされる時代になったら、全員躍起になってモノを手放すようになるとわたしは思っています。
モノはトラブルの元
で、このガラクタを引き受けたあとの話なんですが…。
わたしも断るのが面倒な相手だと引き受けて、1週間以内に処分します。
売ったりリサイクルしたり、切り刻んで雑巾にして捨てたり、所有権は既に自分ですから、“自分がやりたいようにやりやすいように”好き勝手して1週間以内に家から追い出しています。
(洋服の場合は、1回くらい相手の前で着用している姿を見せれば相手も納得するので、それくらいのサービスはたまにします。)
ただ、これ、わたしが18歳からヤフオクユーザーでモノを売ったり捌いたりすることに非常に慣れているから、若干のストレスでできること。
普通の人は、出品したり売りに行ったりリサイクルに持ちこんだりが、日常生活に馴染んでいないので、こういう処分するための行為をすることが相手への恨みつらみに変わっていくのをよく見かけます。
ガラクタを貰ってあげたのに、処分するためにあるいは保管するために、また自分が苦しい思いをして相手をどんどん嫌いになる。
くらいなら、最初に断って相手からちょっと嫌われた方がマシではないか?と思うのです。
- 貰ってしんどい思いをして相手を嫌いになって相手に感じ悪くする=思いは通じるので相手もあなたを好きにはならない
- ガラクタあげると言われた時点でいりませんと断る=相手はよかれと思ったのに!と気分を害してあなたを好きにならない
ね?
結果は一緒でしょ。
わたしは貸している賃貸物件に「よかったらカーテン使ってください。」と言ってカーテンありで貸すこともあります。
※昔はカーテンを買い続けていた→6回目の引越しでようやく買うことをやめたモノ
動物を飼っている人なら「どうせすぐに我が猫がボロボロにするから、あるなら使わせてもらう~。」と喜ぶんですが、
動物を飼っていな人は、「ネコの毛がいっぱい付いているカーテンのせいで虫が湧いた!」なんてクレームが入ることも。(ちゃんとクリーニングしてるモノを設置しているんですけどね。)
よかれと思ってモノを提供してもトラブルの元。
そんなトラブルが嫌だと思うなら、いっそのこと自分の責任で自分で処分している方がいいのです。
先日、亡くなった友人の母親に使っていた財布を押し付けられて処分しましたが、その後なんか良くないことが起こるたびに友人のオカンの念ではないかと疑ったものです。→押し付けられて困ったモノ/情けは人の為ならず
家の中でも、夫婦間が悪くなるのはモノが原因なことがなんとまぁ多いことか。
自分の存在価値をモノに表して対抗している夫婦が多いようですが、モノで勝負するよりもっと他のことで勝負した方がお互いのためというもの。
モノが人をしあわせにする時代はもう終わりましたよ!
モノの代わりに自分を豊かにすることを見つけるためにも、いろいろ捨てましょう。
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買わない杏が買ってよかったモノ