目線を変えるって捨て活においてだけでなく、人生においてもとても大事です。
物理的に目線を変える
汚部屋に慣れ親しむと、“どこが悪いの?”状態になりますが、簡単に自分の汚部屋の異常さを知ることはできます。
- 写真を撮る
- 人を招いてみる
- キッチンでも洗面所でもトイレでも地べたに座ってみる
この3つです。
いつも自分の身長、そして座ったときの目線でしか部屋を捉えていないから慣れてしまっていますが、コンロ前の地べたに座るとどれだけ油が飛び散っているかわかります。
洗面所の地べたに座ると、洗面台にどれほどのおぞましいモノを置いているかわかります。
テレビボード前に寝そべると、どれだけ埃が溜まっているかわかります。
物理的に目線を変えるだけで、鈍化したセンサーが働くのですからやってみる価値はありです。
汚部屋の人は人を招くのを嫌がりますが、人の助言は片付けの後押しになります。
わたしは20代の頃の友人が靴を履き替えているときに、(当時はやっていたロングブーツ)破れているのを見て「キャー!そんな靴履いてこないでよー!恥ずかしいー!」と言ったことがあります。
翌日にブーツを捨てたという彼女も、実はボロボロだとわかっていてそろそろ捨てなきゃと思っているのです。
ただ、自分の目線だけだと履きやすいし、誰も見てないしもう少しいっかとなっていた。
それが人の指摘を受けて捨てる。
人の目線が入ると思い切れますから、人を招き入れるのも手です。
心理的に目線を変える
汚部屋の人で危機感がない人が多いですが、とても危ない兆候だと思います。
感覚が麻痺してしまっているからです。
感覚・感性はあらゆるモノゴトへのセンサーでもありますから、そのアンテナが腐り切っていたら、訪れる危機にも対応できないからです。
ウチ、“断捨離”しました!を見ていると、とんでもない空間に動物を飼っている人がいて、動物愛好人のわたしからすると、立派な虐待レベルなんですが、本人はしれっと部屋の話だけしていたりします。
「この子たちにも良い環境で過ごしてほしい。」の一言がないのです。
感度が鈍るとはこういうことです。
他人の目から見て、明らかに虐待だな毒親だなとわかることでも本人はわかっていません。
目線は自分の目線だけに慣れて生きていると、ありとあらゆるところの不調に気づきにくくなるのです。
動物にしても子どもにしても親に対しても義両親に対しても、他人の家を覗き見るように自分の関係性を見てみる。
- 夫婦間で暴言のような会話しかない
- 子どもに圧迫的な話し方しかしていない
- のびのびと過ごせる空間が、子どもに動物にない
- 義両親を忌み嫌っている
他人がしていて胸が痛むようなことは自分の家庭でもしないことです。
わたしは、家関係の仕事をしているので、いろんな家族を見ますが、結構多いです。
ケンカするときは、暴言吐きまくりでOKですが、日常までチンピラ用語みたいになっていては、いい関係が築けなくて当然です。
目線を変えて、色んなことを見てみましょう。
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