ちょっと思うことがあって清算した人間関係って、みなさんにあると思います。
逆に清算されたなと思うことも、長く生きていればあるでしょう。
モノも人間関係も同じで、執着すれば磁石のようにガラクタを引き寄せます。
肝心なのは、いいモノや自分にとって心地の良い関係ではなく、あくまでもガラクタ、切った方が良いような関係を引き寄せるということ。
不思議です。
わたしも若い頃は、別れた人へ愛情ではなく執着をしたことがあります。
そのときは、関係修復するためにブログや心理学の本を読んだり色々しましたが、結果、離れるときは離れるべくして離れたときだと今は思っています。
よく占い師の方に、自分が泥沼恋愛をしたときに100万円占いに使ってしまったから取り返したくて、自分がなったとかいう話を聞きますが、“何かにすがってでも~”状態のときは、仕事も恋愛も家庭も上手くと37年生きてきて結論付けました。
芸能人でも、余裕を醸し出している女優さんやタレントさんや芸人さんの方が魅力的にうつりますよね?
その反対で、太鼓持ちのように地位や名誉がある人にすり寄っている人や悲壮感漂いながらすがる人をみていると、見てはいけないものを見てしまったような気持ちになります。
思考は、ほぼほぼ癖だと思っているので、渦中にいる時は「頭ではわかっているけど、気持ちがおっつかない!」となりがちですが、これは「癖なんだ!」と自分に唱えていると段々大丈夫になってきます。
離れてくれてありがとう
2年程前に思うことがあって、距離を置きたかった友人がいます。
ちゃんと伝えました。「距離を置きたい。」と。
ただ、その後も数週間単位で
「元気になった?」
「会いたい。」と連絡がくるので、電話はブロックしました。
その当時は、連絡を受けられない自分を責めてしまい落ち込んでしまうので、友人からの着信を受ける度に心がざわついていたのです。
ブロックしてからやっとそんなこともなく昔のことと風化していたのに、今度はラインの電話を使って1年ぶりにかかってきました。
メッセージも。
自分が関西に帰省しているタイミングでうまくいけばわたしに会おうとしていたみたいです。
こうなると、どんどん嫌いになります。
友人の嫌な部分があったから、距離を置きたかった。
その理由は伝えるべきだと言う人もいるかもしれないけど、もう関係を修復するつもりがないのに伝えるのは、自分のエゴのような気がして伝えていません。
ただ、わたしが連絡を取りたくないと言っているのに、し続けてくるのは一種の嫌がらせに値します。
「あぁ、やっぱり縁を切るべき人なんだ。」となります。
最後に「もう会わないことにしたから、連絡をしないでほしい。」と言って、終止符を打ちました。
もし、1年ぶりに連絡がなかったら、5年後に会いたくなっていたかもしれません。
執着すればするほど、良い関係性は離れていきます。
もし、自分の周りをハッピーに彩りたいなら、ケセラセラが1番大切です。
くりーむしちゅーの上田晋也さんがお子さんに「森泉ちゃんみたいに、明るく生きている人が一番すごいんだ。明るく生きていけ。」とお話されたと言っていました。
わたしの恩師も「へらへら笑って生きている人が一番偉い。」と言っていました。
毎日へらへらするのがどれだけ難しいかわかっているからこそ出る言葉だと思います。
どうせ、100年後にはわたしもあなたもみんな魂だけになって、今の貧困や過重労働や家庭不和や体の不調の問題は解決されるのです。
そしてどれだけすがっても見栄や虚栄心、過去の栄光は浄化されてしまいます。
あと、少し、一緒にへらへらしましょう。
そして、ちょっと未練があることも思い切ってエイッと捨てましょう。
最後に、既読にはしませんでしたが、友人は「残念だけど。元気でね。」とメッセージをくれました。
大嫌いにならずに済み、離れてくれてありがとうと感謝しています。
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