クローゼットが、右肩上がりになったついでに
紙類…といっても、すでにアクティブファイル3つ分しかないのですが、
余計なものは入ってないかチェックしたところ、なんと、ファイルの中に幼稚園のお知らせや運動会のお知らせ、通っていたスポーツクラブの入会案内まで出てきました。
もちろん、紙虫に悪さされた痕跡ありの紙類。
全捨てです。


紙類を保管するのは、コンプレックスの裏返しかも
書類の他に、仕事で使う資料や、本も紙類に含まれますが、これからを断捨離出来ないのは、知識のコンプレックスがあるかもしれません。
わたしは、家族の想い出のモノが一番捨てるのが苦手といつも言っていますが、自分のモノなら結構思い切ってなんでも捨てられる性質です。
その最たるものが紙類です。
- 健康診断の結果に始まり
- 過去、取得した資格系のテキスト
- いわゆる“ええ会社”に勤めていた時の給与明細や契約書
- 学校の卒アルや、卒業証明書
- 本
これ何でかっていうと、わたしこの分野ではコンプレックスを持っていないからです。
隣の芝生は青く見えるもの
例えば、大学、特段優秀な学校へ通っていませんが、入社して国立大卒の人に囲まれて仕事した結果、「いい大学出たからといって、仕事ができるわけではない。」と思っているので卒業証書も別に置いておかなくても平気。
ちなみに、卒業証明書は大学に行けばもらえました。(わたしの大学は。)
資格も、流れで取っただけで別に持ってるからといって、人生勝ち組とか思わないので、それをラックに並べなくても平気。
わたしは常に学びの姿勢で生活するタイプなので、モノに証明してもらわなくても、自他ともに“学び好き”とわかります。
基本、大勢の人とべったりより孤高に生きる方がかっこいいと思っているので、親しくもない同級生の顔など見返すことがないし、卒アルなんて不要。
読書は、少ないわたしの趣味の一つで、読むことが日常的なので、読書している自分をアピールする必要もない。
そんな理由から、読んだら即売却、もしくは図書館で借りるだけで終わります。
手持ちの本は、何度も読み返している10冊程度。
つまり、コンプレックスを持っていない分野のモノは、なんでもポイポイできるのです。
みなさんがホールドしているモノは、コンプレックスの裏返しかもしれません。
そして、そのコンプレックスこそ、もう断捨離してたらいいのではないでしょうか。
親の愛を欲するのも、理解して俯瞰してみよう
わたしは、ひとりっ子なのに甘やかされて育ちませんでした。
わたしは、梅宮アンナさんやそのお子さんをべた可愛がりする梅宮辰夫さんみたいな親が理想なんですが、うちは運動会も、小学校高学年になると親から「別に行かんでいいよね。」というタイプ。
幼稚園のしおりなんかがわたしのクローゼットから出てくるのも、「自分のモノは自分で管理して。」(つまり、親には子どもの思い出は不要)と、わたしに渡されているからなんです。
生まれたてのときの大きく引き伸ばした写真も、「こんな不細工な写真もう要らないよね?」と捨てられたので、ちょっと幼い頃の自分が可哀想に思えて、拾って自分で持っています。
わたしの親は、明らかにわたしより“人より自分を優先するタイプ”です。
モノはちゃんと与えてくれました。
けど、心を与えることは苦手な親。
そういう現実、わたしはもう受け入れつつあるので、幼稚園のしおりがなくても平気になりました。
ミニマリストになりたての頃は、「自分くらい自分を愛でてあげなきゃ可哀想だよね。」と、自己憐憫が入っていました。
ここが一番のポイントで、「わたしは不幸だった。」でとどまり続ける人は、自己憐憫し続けます。
「わたしは不幸だったけど、そのおかげで○○。」と受け入れられる人が前向きな人です。
多くの相談を受けても、この自己憐憫でとどまる人がとても多いのです。
今は、この憐みが取れて、事実を納得。
そして、わたしは“親に愛されたい願望が強い人間”と理解して生きています。
これって、その考えやめろーと言われて、やめられるものでもないし、理解しておくだけで随分違うと思うのです。
目をそらさずに、ちょっと見てみると、家の中の様子があなたの心に灯をつけてくれるきっかけになりますよ。
自分のために、物質主義的価値観を手放してみてください。
みなさんも、聞いてみたいことや感想や捨て活の報告などありましたら何なりとメッセージお寄せください。
お待ちしています。
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