人間ってどうしても相性があります。
わたしはせっかちで口が悪いので、上っ面はニコニコして掴みどころがないくせに実は腹の中真っ黒みたいなタイプが合いません。
異様に愛想がいいのも、鬱陶しく思うタイプです。
これ相手が悪いわけでもわたしが悪いわけでもなく、ただの相性です。
わたしの大好きな友和百恵夫婦の“相性”にもありますが、ただただ相性が良い人、悪い人が世の中にはごまんといるのです。
永遠に続く縁はない
ものすごい数の人間がいますから、相性が悪くて縁を切ることになったり、仕事のご縁が切れてしまうこともあるでしょう。
それをあまり自分の責任だと責めなくてもいいです。
縁がある場合でも、縁というのはずっとがっつりつながっているのではなく、海の中の浮き物のように波によってくっついたかと思ったらまた離れたりするもの。
離れた縁が10年後あるいは子孫に代でまたくっついたりするものです。
短い人間の80年の間に切れてしまっても、縁があるならまたどこかでつながります。
なので、距離を置くことになった、仕事の発注が途絶えた、これ全部、自分の責任ではなく宇宙の流れとでも思っておいた方がいいでしょう。
潔くサヨナラすると良縁に恵まれる
縁が薄くなったときは、すがりつかず思い切ってサヨナラする方がベターです。
仕事とかだと、頼み込んで『もう一度取引してほしい!』なんてお願いすることもあると思いますが、一旦、関係性が歪んだあとに無理矢理続けても、歪んだままの縁が続くことになるので、良い縁ではなく悪縁となりやすいからです。
男女の関係も仕事関係も友人関係も、相手からちょっとサヨナラしたいと言われたら、潔く応じる。
歪んだものを引きずらず、すっぱり切り落とすことで、新しい良縁がやってきます。
モノも人間関係も仕事も同じです。
サヨナラするときは、関連モノも一緒にサヨナラ
これが一番大事なことになりますが、縁が切れた後にみんさん関連モノを一緒に捨てなさすぎです。
離婚してずいぶん経つ同僚の引越しを手伝いに行ったら、結婚式のウエルカムボードが出てきてみんなにドン引きされていました。
子どもを通じてお父さんお母さんの関係性は続いていても婚姻関係は解消したのだから、もうモノは手放しても大丈夫です。
こういう人に限って、次のご縁に期待している人が多いのですが、新しい関係を求めているならなおの事、関係が終わったときにモノも撤去する。
カレンキングストンさんが、別れた男の思い出を引きづっていたけど、2人で使っていたテーブルを捨ててスッキリしたという説はミニマリスト界では有名な話です。
モノはただのモノなのですが、人間が勝手に想い出やら念やら魂を込めているので思いの品には、当時の想いなんかがべっとりついています。
縁が切れた人やコトガラの関連モノをいつまでも家の中に置いて怨念で溢れさすこともないでしょう。
わたしは仕事が終わった瞬間に全て捨てます。
証拠保全とかの場合は少し置いておきますが、もう裁判沙汰にならないだろう時期が来たら全部捨てます。
逮捕してもらったストーカー関連も、ストーカーが結婚したと聞いてさすがにもう再度ストーカーになり警察にお世話になることもないだろうと捨てました。
最後の話合い、結構不要
良い別れ方をしたいからと、最後にごり押しで会って話し合いたい人がいます。
これ、いらなくないですか?
どれだけ自分の言い分を言ったところで、自分が言うであろう言い分を想像してそうだとしても相手は嫌だと言う判断を下しているのだから、もう無駄に言葉や時間を使う必要はありません。
別れるために納得のいく理由が欲しいというのと同じで、無意味です。
納得いかないことを納得することで、薄くなった縁をぶっち切ることができ、次のステップに進めるのです。
逆に話し合いをしたいと言ってくる人は、最後に捨て台詞を吐かれるだけですから、応じることもないでしょう。
一番いいのは、何となくフェードアウトです。
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買わない杏が買ってよかったモノ