できないことをできるようになる必要はあるのかを考える
未だにiPhone7を使っているので、使えないアプリが増えてきました。
スマホ自体も古いのか、反応が遅くて飛びたい記事になかなか飛ばず…
待てないわたしは「もういいや。」的に見ないまま終わることも。
セーターしわくちゃの友人や、お金を見事に使い切るタイプの家族からは「新しいの買ったら?」と言われるのですが…
不便が生死を分けるほどのことでもなければ、急いで買い替えなくてもいいかなと思って生きています。
そもそも便利過ぎると、余計にイラチ(せっかちで少しのことでイライラしてしまう人)になってしまう気がするんですよね。
- レジで“ピッ”で去らない人にも苛立つし
- ATMで、順番が回ってきてからようやく通帳を取り出す人にも殺意を覚えるし
- 電話でも接客でも、マニュアル通りのセリフを繰り返す人に嫌気がさす
ただでさえコトの運びが遅いことでイライラしているのに、iPhoneの反応が遅いくらいでイライラしていたら、血管がプチっと切れてしまいそうで…。
しかも見ている記事がただのゴシップだったりします。
見られない場合は、「不要な情報だったんだ!」と神様からの時間と心の余裕のプレゼントだと思っています。
ネットサーフィンしてしまうのも、すいすいスイスイ、次の情報ページに展開していくからですからね~。
モノが便利!or不便~💦の境目を見極める
モノってあれば便利なのは、ある一定のラインまでなんですよ。
知った上でモノの相手していますか?
土鍋が1つあったら、お米を炊けるし、ラーメンとかお鍋を作れるし、スープもおかゆも作れちゃう。
モノがあったら便利ですね。
ただ土鍋が10個キッチンにあったら、場所を取るから移動させる必要があったり、どれがどの蓋かわからなくなっちゃうし、使っていない土鍋をそろそろ使おうかと考えたり、やることが増えます。
- これがかばんだったら「そろそろ使ってくれよ~。長年放置してるから革がボロボロになってきてるよ~。」と構ってちゃん化
- スマホは無駄な情報のシャワーを浴びせてくるし
- 衣類は「防虫剤買って!クリーニング連れて行って!」アピールをします
- 車も、「そろそろオイル交換してくれん?」って聞いてきます
- アクセサリーは、「磨いてくれなくすんできたよ…。」って悲しそうだし
- 大きすぎる家具は存在感アピールで、人間に肘鉄をくらわしてきたり
- 長年使用したタオルは、「火葬してくれ~!!」と腐臭を発する
モノはある程度まで、人を助けてくれる便利な相棒ですが、一定量を超えると、人に仕事を押し付けて奴隷化させようとします。
ここまで来たら、モノの邪気に人間がやられる羽目になります。
自分の持ち物が果たして、自分を応援してくれているのか自分を追い込んでいるのか、見極めてください。
モノに感傷的になっているのは人間だけで、向こうは何とも思ってくれていませんよ。
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