

わたしは、1日5捨てのノルマが達成されたら、どんどん翌日の欄に捨てたモノを記録するので、厳密にコロナ後に捨てたモノだけではありませんが、一応、感染後に捨てたモノです。
思い出の品への考え方/闘病は本人にとっては人生最高の思い出ではない
わたしの大好きな祖母は最期闘病生活の末に亡くなりました。
ピンピンコロリではありませんでした。
家族一丸となって、病院への送り迎えや、1か月ごとの検診結果に一喜一憂した記憶は、「バーバ、よくがんばったよね!」という悲しいけど最後まで明るく生き切ってくれた祖母が誇らしくもある記憶です。
そんな思い出は大事だと思って、通院記録など、一式まるごと置いてありました。
検査結果表は、母がマーカーを引いて前回の数値から改善されたことを記録していたり、祖母の体重管理がかかれていたり…。
わたしたち親子三代でがんばった記憶は記憶なんですが…
自分が今回入院して、闘病って本人にとっては名誉でもなんでもないことに気づきました。
ただしんどいだけだったし、もしわたしに娘や孫がいて看病してくれたとしても、入院記録を残して娘や孫の生活の邪魔をしたいなんて絶対に思わないなと思いました。
お世話をしてくれたことの感謝はあって、いい思い出になったとしても、入院記録を見なければそれを思い出せないかというとそうでもない。
友人のお母さんが闘病の末亡くなったときに、残った大量の薬を一番に捨てていました。
思い切りの良さにどうして捨てられるのか尋ねたら、「病気したことは別にいい思い出ではない。あの世へ行って、もう薬飲まなくてもいいことは喜ばしいことだから全捨て!」と。
わたしもこの考えには賛成で。
このときから、薬系は誰が亡くなっても速攻捨てるようになりました。
小林麻央さんも、自分が亡くなった後に自分が思い出されるとき、病気のことを一番に思い出されるのは嫌だと話されていましたよね。
闘病したことがすべての人生ではなく、好きな職業に就いて、愛する人と結婚して、子どもを授かり、しあわせな人生だったと。
薬を全捨てしたとき入院記録なんかも一緒に捨てればいいのに、ファイリングされた状態で押し入れに入っていたので、押し入れを開けて目についても「バーバの思い出」=「捨てるはずがない」でスルーでした。
常日頃ファイリングすることの愚かさをブログに書いていますが、まさしく収納すると、時間の経過とともに中身は全部ごみになっているのに、そのまま持ち続ける羽目になります。
モノの手入れ・管理より、自分の管理が最優先
ミニマリストのおかげで、コロナに感染して10日ほど家をあけても、散らかりまくったりはしていませんでした。
入院準備も、洗面所の引き出しに入っているのモノをそのまま大きめのエコバッグに入れるだけでした。
ですが、退院後も本調子でない自分になると、日ごろ、結構、面倒で無駄な家事をあえて自分でたくさんしていることに気づきました。
ただでさえ動物がいっぱいいて世話が大変なのに、
- その上に(手のかかる)観葉植物まで育てていたり、
- 不要なモノを持っているおかげで、モノの移動を家の中で無駄にしていたり
- クローゼットで見かけてかわいいなと思うものの、使ったことのない小さなポーチが大量にあったり
- ティッシュカバーも大量にあるため、それを洗う必要があったり
- 使っていない銀行口座がたくさんあったり
わたしは乳房良性腫瘍を摘出しているので、ブラのパットが人より多めです。
元々入っているパットでは、左右の差が出てズレが生じるので、片方だけ購入したパットを入れて、元々ついているパットは外しています。
外してその手でごみ箱に入れないのが、人間ですね。
ただ今回、使っていないパットまで引き出しを開けるたびにあるのが、視覚的にも邪魔だなと思い捨てました。
40歳を超えたら、お肌も膝肘も内臓も目も髪も老化が一気に進みます。
自分の管理だけで手いっぱいなのに、これ以上モノの管理まで増やしていられません。
40代だと子どもにも手がかかり、50代だと親に手がかかるようになりますよね。
そんな40代50代は、自分自身もしんどくなってくるときです。
自分と家族を最優先するためには、モノを相手している場合ではありません。
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