瀕死のとき思い出したモノやコト

何故捨てなきゃいけないの? 持たない暮らし

コロナ後遺症でまだ声が出ません。

 

家族に用を言いつけるにも、話せないため筆談だったりLINEをしたりと面倒。

 

こうなると、「もう何もお願い事しなくていいくらい家事を減らすしかないね!」と、また捨てまくっているわたしです。

 

 

死にかけたとき思い出すこと以外の分野のモノは基本ごみ

 

コロナが五類感染症に格下げ(?)されてから、コロナだと言ってもあまり心配されなくなりました。

 

本人は、息ができなくて本当に苦しいのに、医者も診察することさえありませんでした。

 

その前に入院させてもらうのが大変でした。(大したことないから家にいろの一点張りで。)

 

そんな五類感染症でオーバーに言うと、闘病されている方に失礼かもしれませんが、わたしのコロナ感染は40年で1番しんどかったのです。

 

飲み込むことが一切できず息苦しい中、「こりゃもうアカンかもしれん。」と覚悟したのですが、「もう最後かも!?」と思ったとき、モノや過去の栄光を思い出すことは一切ありませんでした。

 

最後だと思ったときに思い出したのは、

  • 通帳以外にもたくさんお金が入ってるからね
  • 子どものごはんやお薬は、引き出しに入っているからね

この2点だけでした。

 

  • わたしは、高級レストランでいっぱい食事したーとか
  • 高級ブランドをたくさん身につけていたーとか
  • 外車に乗っていたーとか

 

そんなこと一切思い出しませんでした。

 

よく火事になったときに持って行くモノだけが本当に必要と言われますね。

 

ミニマリストのゆるりまいさんも東日本大震災で、家が半壊し、必要最低限のモノだけを借り住まい先に持って行ったとき、長年持ち続けていたガラクタの多さに愕然としたとか。

 

火事・地震・瀕死、身近に感じられないかもしれませんが、瀕死はわたしたち全員が必ず訪れます。

 

そんな時に思い出しもしないモノを、一生かけて後生大事に持ち続ける意味はありません。

 

イメージしにくいなら、今から憧れの推しメンが家に来ると想定して掃除するのもいいです。

 

わたしは、よく結婚したてのご近所さんが夫婦げんかの末、我が家に逃げ込んでくるという妄想ごっこをしています。

 

最後に思い出すのはモノではありません。

 

モノのせいで、災害や突然の来客にうろたえているようではいけません。

 

モノ軸でない自分軸のライフスタイルを取り戻しましょう。

 

 

“捨てる=いいコト”がインプットされると、相乗効果でなんでも捨てられる

しんどいとき

 

コロナ発症する前日に、実はご先祖様の過去の入院記録(そんなモノまで取ってあるんです、我が家^^;)をごっそり捨てました。

 

“捨てるコト=悪いコト”という意味不明な固定観念を持っていると、「捨てたからバチが当たって、コロナになった。」と捉えます。

 

近所のおばさんも、両親の墓じまいをした直後に病気で亡くなったご近所さんのことを「親の墓をないがしろにしたから死んだ。」と言います。

 

果たしてそうでしょうか?

 

わたしは、親の墓を放置し死んで30年後か100年後かに無縁仏としてごみに出されるくらいなら、お子さんの手で永代供養をした方が親孝行だと思います。

 

このように、人は思い込んでいる信念によって、物事の捉え方が違います。

 

わたしは、コロナでしんどかったけど、胃も腸もお肌もリセットされたのか、退院後明らか5歳は若返りました。

 

全ての事象は一長一短です。

 

わたしのように、「捨てたから手に入ったんだ。」という実証を持てば持つほど、捨てる言い訳上手になります。

 

みなさんが捨てられないのは、捨てない言い訳上手だから。

 

いつかは死ぬってことを受け止めることも、立派な捨てる言い訳になります。

 

どうぞ最後に本当に大事なことだけを気に掛けられるように、どうでもいいモノは捨てましょう!

 

 

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