日々、モノとの関係性を見つめながら自分を鍛えている人って、基本ネガ真面目なんだと思います。
ズボラな適当な人なら、何も考えずにスルーすることを自分で突っつきながら生活しているのですから、マゾ並みに自分に厳しい人たちです。
なので、捨てながらあまり自分を責めないようにだけ気をつけて続けてほしいです。
自分の部屋の有り様は自分の心の有り様と捉えて、そこに取りかかろうとしている段階でOK!
あなたは、とっても素直で前向きで向上心のある人です。
まずは、まるっと自分にOKを出してあげましょう。
捨て続けた先に、答えはある
まるっとOKを出してあげた上で、最初の捨て始めから、人によって差はあると思いますが数年までは、ただ、自分の家にあるヘドロをかき出しているだけだと思ってくださいね。
わたしたち、結構すでに長く生きています。
20年以上溜め込み続けたモノを数年捨てたからと言って、素晴らしいことではないのです。
わたしもそうでしたが、数年は本当にただのごみを外に出しただけでした。
使っていないバッグや、使わないのにもらってしまうサンプル、ボロボロですでに寿命を過ぎたモノを家の外に追い出すのは、生ごみを溜め込まないのと同じことだからです。
日々の忙しさに追われて、それを怠っていただけです。
本当にモノとの関係性から、自分を見つめなおせるのは、そういうただのごみがなくなって、自分の生活を確立したあとです。
つまり本当に捨てるべきものは、ガラクタです。
ガラクタは過去への執着や自分の見栄やトラウマという心です。
そこに行きつくまでは、ただただごみをごみと認識する訓練。
わたしみたいに1日5個捨てなくてはいけない状態で、「何を捨てよう~。」と家の中を真剣に散策するようになったとき、初めて、自分の過去への執着が現れます。
絞りだすように捨てるモノを考えるから、
- あ、わたしって見栄っ張りなんだ
- わたし、まだこの人のこと許せていなかったんだ
- わたし、今の自分卑下しているな
- このコンプレックス解消できてなかったな
- すごくケチなんだな
- お金に細かい割にお金貯められない原因はこれかぁ
- 他人軸だったなぁ
- 自分勝手だったなぁ
とモノを通して見えてきます。
そして、本当に不思議なんですが、断捨離は何故か集合無意識で伝染するのか、会ったこともない友人のお母さんが断捨離を始めたとかいう話を聞くようになります。
人の断捨離話を聞いて、また自分の断捨離を見つめ直したりして…。
でも、ここまでくるともう自分の人生を循環させるのが当たり前になってきているので、楽になります。
わたしが、二足の草鞋を始めた頃は、数年は大変でしたが、数年先にはいっきに生活が楽になりました。
人生谷ばかりではないので、数年だけ人より深い谷を経験することで、人より高い山頂気分を味わえると信じて、がんばりましょうね。
たかが断捨離、されど断捨離と捉えられた方は是非ポチッとお願いします♡
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