言い方は悪いですが、事実です。
自分が死ぬ前に自分の後始末を考えるのは、自立・自律する人間としては当たり前ですが、
人が死ぬ前にも、当てはまります。
最初に、HSPで人生をあまり楽しめない杏は
- 過去執着型
- 過去回想型
- どうしようもないことで悩む
性格です。
最近は、NLP(心理学)を学んだりして軌道修正が可能になってきましたが、根っこから超明るい人にはなりきれません。
一生治らないと思いつつも、少しずつ快調に向かって死ねたらなと思っています。
さて、その過去執着型の最たる、そしてわたしが子どもを産みたいと一度も思ったことがない所以が、死別の悲しみから立ち直る力が宇宙一ないからです。
10年以上前にお別れした人のことでも、まだ生きているように生活をしてしまうし、1日に1回は絶対「なんで、もう逢えないんだろ。こんな悲しい毎日を送るなんて本当につらい。」と思います。
なので、今わたしが心がけていることは、みんなが生きている内に物は捨てておくことです。
今、真剣に捨て続けている理由のトップ3には入ります。
わたしはまだ持ってる

通帳やお財布、携帯電話、キーケース、よく使っていたバッグ、お薬手帳、保険証、免許証、わたしは全部、亡き親族や家族同然の人の物をホールドしています。
もちろん、ミニマリストなので1週間に1度はそれぞれの引き出しを開けて数は減らしていっています。
でも、一気に全捨てとはいきません。
以前60代の知人が、お母様を亡くされた後に旦那さんが「きっと君だと捨てられないだろうから、僕がしてあげようか?」と提案され、旦那さんに全部処分してもらったと聞きました。
確かにそれは一つの手だなと思ったのですが、杏は旦那がいない上に何でも自分でしないと納得できない性格なので、旦那がいたとしても名案ではありません。
そうなると、今みんなが健康で元気で喧嘩できる内に物を減らして、しばしのお別れをするときには、無いのが普通になっているのが一番いいと考えるのです。
なので、愛猫や愛犬の記録系の物や写真の整理なんかは今しています。
死別した後は、もっともっと執着して余計に捨てられなくなるから。
わたしの仲良しネコちゃんボランティアの女性も、見送ったネコちゃんの健康診断結果なんかを捨てられないと言っていました。
人生の最終章には、空っぽを目指す
とは言え、いずれ手放すからと持ち続けているとマキシマリストと一緒になってしまいます。
必ず1週間に2日は、そこら中を開けて「これはもういいよね?」と心の中で話しながら減らしています。
わたしの家は、すでに物が少なく整理整頓もされていますし、ほとんどの収納が空に近いので、多分一気に全捨てしたら3日で終わることを、ゆっくりゆっくりしているので、かなり時間の無駄だとは思います。
ただ、そうしないと、今以上に早く死にたくて仕方がなくなるので自分の思う心を無視せず、ぼちぼちしています。
毎日トイレ掃除するのとおんなじルーティーンワークです。
50歳か55歳くらいには、老人ホームチックなところへ入るつもりなのでその頃には、それこそトランク一つに全てが収まる荷物に目標を掲げてがんばっているのです。
大家族で住んでいる方も、お子さんが巣立って夫婦2人で暮らしている方も、いずれはどこかのお世話になる人がほとんどです。
- 病院で亡くなる人
- 老人ホームで亡くなる人
- 一時退院できて自宅で亡くなる人
- 子どもの家でお世話になる人
- 自宅で、ヘルパーさんの介助を受ける人
それぞれですが、ただ一つ共通していることは健康で何でも一人でできる今とは違う状況になることです。
そうなったときに、新しい環境にスムースにぽんと移れることが、寿命が長くなってしまった今を幸せに生きる方法なのではないかなと思います。
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