
週末のデジタルデトックスが続いていますので、スマホを触らない時間に
ちょっと、紙の整理をしてみました。
紙ごみってこんなにある
1.過去の栄光グッズ
卒業アルバムや賞状などは、ことごとく写真に撮って捨てているつもりでしたが、昔の会社の入館証やわたしの資格証明書(期限切れ)がまだありました。
何か今より若いわたしの写真入りで懐かしい気もしましたが、他にもその頃の写真はあるのでバッサリと捨てました。
資格証明書は、期限が更新されるたびに新しいものが届くのにその時に捨てないから今こんな大変なことになっているのです。
家族は、歴代の運転免許証を持っていますが
わたしはこれからは絶対に期限が切れたと同時に捨てることを心に誓いました。
2.想い出の品
行ったコンサートのチケットの半券などは、わたしは断捨離済みですが家族はまだありますので
そこも覗きました。
恐るべきことに、チケットが届いた封筒、チケット発行証明書、購入した時のレシートまで保管しており
とにかくチケットは残していいからと他は捨てさせていただきました。
ディナーショーに行ったときなんて、食事のメニューやホテルが配っているチラシまで保管しているのだから気が遠くなりそうです。
3.ご先祖様も誰かわからなくちゃ意味がない
全家族の写真をボックス2つにいれてあります。
見返すように、小さなアルバムに入れた物が10冊ほどありますがこれは別として全家族の歴史を見返すと
誰だかわからない人も混ざっていました。
一応、家族に確認しながら誰かわからない人はもう捨てました。
毎日お仏壇に手を合わせるときに、「○○家のご先祖様、」と話しかけているので
顔がわからない人はすでに高いところへ成仏して写真がなくなることも理解してくれていると思います。
写真を整理していて気づきましたが、親族も早くに亡くなった人は枚数が少なかったです。
この世に生きた人はいずれ姿かたち、そして人の想い出からもいなくなるのは
天国へ行った人みんな一緒なのでわかってくれるはず。
きっと、わたしは天涯孤独なので死んだと同時に数人の友人の記憶に残ってすぐに忘れられてしまうと思います。
ですが、淋しいとは思いません。
それが地球上のものの常だと心得て、あの世へ旅立ちますから。
ちなみにですが、わたしの恩師は早くに亡くなりました。
わたしと同じひとりっこの独身主義者だったので「老後は、面倒わたしが看てあげますよ。」なんて言っていたのにとても淋しいです。
でも、さすが先生だなと感心しているのが(先生、上から目線みたいですみません。)
一切夢に出てきません。
生き切ったんだなと思うと同時に、同じ独り者なので覚悟してあの世へ行ったんだと思っています。
捨てる技術は上がることを知っておく
証明写真も写真屋さんが入れてくれる型紙に入ったまま保管してありました。
断捨離を始めた頃は「ひぃおばあちゃん、○○市の写真館で撮ったんだ~。」と感傷に浸っており
それも取っていたのですが、もう写真さえあればいいよねと諦めました。
捨てている間に、捨てる技術って増してきます。
これは何でもかんでも捨てるのではなく、自分の胸の中にちゃんと生きて残っていることをどんどん実感していくということ。
つまり自分を信じられるようになってきます。
なので、何かを捨ててしまって後悔したりしたとしても
段々と後悔しないようになってきますし
なくても平気な自分に生まれ変わります。
なくても平気な自分になってきたら、今度は買わなくても平気な暮らしが送れるようになり
そして、無駄な出費が減ってお金で苦労することがなくなります。
これが、不要なものを手放して幸せになるからくりです。
幸せの判断は自分でどうにでもできる
わたしは、お金が大好きです。
今は、住宅ローンがまだ少し残っているので早く完済したく
余計に買わない暮らしを続けて早くお金を貯めたいと思っていますが
お金持ちだから幸せってことは絶対にないと思います。
家を建て替える前は、玄関のドアが経年劣化で勢いよく閉めると外れたりしていましたが
その都度家族と笑って過ごしていました。
不幸なのは、やみくもにお金がダダ流れている現状だと思います。
佐賀のがばいばあちゃんを読んでも、島田洋七さんはおばぁちゃんと貧乏生活の中で人生哲学をしながら生活の知恵を働かせながら楽しそうに生きていました。
それに、最近わたしから見たら羨ましくて仕方のない方が若くに亡くなられることが多くとても考えさせられます。
この世で地球上の酸素を吸って二酸化炭素を吐き出しているうちは
どう転んでもそれを続けなければいけないのだから
淡々とさりげなく生きるために無駄なものは取り除き
余っている物は人に使ってもらって残りの人生を歩みたいと思います。
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