ビールを飲むのも
美味しいごはんを食べるのも
一人がいい!とずっと思っています。
実際に高級料亭だって焼肉だって
全部一人で行きます。
一人がいいのはペースを合わせなくてもいいから
小学校の時に最後まで給食を食べられずに泣いていた子っていましたよね。
わたしは典型的なそのタイプでした。
休み時間に入っても、食べられず目に涙を溜めながら
先生が「もういいよ。」と言ってくれるのを待っているような子どもでした。
そもそも食べるのが遅いし
当時は食べられない物も多くて…。
それが大人になってからは、
社会人同士の付き合いで行かされる飲み会が
子どもの頃のわたしにとっての給食と同じ位置付けになりました。
無理矢理飲まなくてはいけないし
安い居酒屋は油が悪くてごはんもまずいし、
わたしの新人同期は他に4人いましたが
先輩の相手を適当にしながらパクパク食べて
飲みたくないお酒は飲まずに
3次会になるとコックリコックリ船を漕ぎ始める…。
そんな同期を横目に
先輩の相槌に忙しくビールしか喉を通らず
すきっ腹で飲み続け
解散と同時に吐く、みたいな新人生活を送っていました。
30歳までは仕事を取るために
かなり無理をして飲み会と称した接待飲みを頑張りました。
30歳くらいになると知恵が付き
自分の行きつけのお店に先輩を連れて行き、
- ビールと頼んだらノンアルコールビール
- ウーロンハイと頼んだらウーロン茶を出してもらうよう
店側にお願いして何とか乗り切りましたが
飲み会は
世の中で一番嫌いなもののトップ10に入ることは間違いありません。
仲良しさんの前でも空気に飲まれる
仕事の付き合いは、まぁ自分でも理解できるのですが
わたしは結構仲の良い友人との会食も嫌いでした。
1.遊び仲間は、わたしが少食なのに対して大食漢。
そんなに食べられることに嫉妬し
またそれに伴うふっくらした肉付きに自分と比べて落ち込む…。
2.ちょっとした同期友人は、お金に細かく
値段を気にしながらメニューを選ばなければダメで疲れる…。
3.一緒に海外旅行へ行く友人は、食べることばかり考えていて
胃がもたれる…。
そんなこんなで
本当に仲の良い人とでも本当はまだ食べたいのに
みんなが食べ終わっているからという理由で
半分以上ごはんを残してしまうようになっていました。
それがミニマリストを目指してから
人の倍の時間がかかっても最後まで食べたいものを食べられるようになりました。
人間関係の断捨離も並行して進めるにあたって気づいたことは
- 大食漢の友人も
- ケチな友人も
- 旅行を一緒した友人も
わたしの心の奥底では友人ではなかったってことです。
- おしゃれだから
- 人脈があるから
- バイタイリティがあるから
- 面白いから
- 家族とも仲良くしてもらってるから
といった自分にメリットがありそうなことを計算して続けていた友人だったと気づきました。
実際に今付き合っている人たちは
- 別にモデルのような恰好もしていないし
- おしゃれなバーを行きつけにしていないし
- 前へ前へと出るアウトドアの人ばかりではありませんが
本当のわたしにはこっちの方が居心地がいいのだから仕方がありません。
以前は、自分が出不精で1人が大好きなことを恥ずかしいと思っていて
わたしの代わりに
- プラス思考で
- 面白く
- 人脈があり
- 明るい人を
周りに置きたがっていた傾向がありました。
が、そんな出不精の自分を受け入れたことで
居心地の悪い関係は清算できることに。
今は、仕事関係の人でも
心が疲れない人としか一緒にお食事しないので
最後までゆっくりと食べられるようになりました。
自分を卑下ばかりしていると
不要な物や人・組織や仕事を引き寄せることになるなとここ数年学びました。
今は、一人を怖がっている人みんなに
一人は怖くありませんよ。と声をかけたい気分です。
孤独な一人ぼっちにはなってはいけないけれど
孤高に生きる一人ぼっちは、一人にはなりません。
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